KANDA SEED LIFE 2026-2027
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カオデカクン・ウリウリブラザーズカボチャ エサシトモコ制作その時代は、望むと望まざるに拘わらず、過去のものとなった。「タネ(種子)は誰のものか」という議論は、しばしば「共有か独占か」、要するに「みんなのものか?巨大多国籍アグリビジネスによる囲い込みか?」という二項対立に収斂してしまうけれども、ハナシはそんな単純なものではない。で、この非生産的で不毛な対立を解決するアイデアのひとつが「コモンズ」の思想であるという。種子には「<生物資源>であり<遺伝資源>でもある」というユニークな側面がある。これらふたつが、クルマの両輪のように機能することで、種子はヒトによる「農の営み」に大きく貢献してきた。しかし、現在、地球環境の激変による生態系の危機や、資本主義経済の行き詰まりを背景に、「農業」と「資本主義」という<本質的に相容れないふたつのシステム>の間の調整が困難になりつつある。「コモンズ」(「共有地」とも訳される)とは、「共同で利用される資源」または「共有資源を共同管理する行為」を指す言葉である。「コモンズ」もしくは「コモン化」から種子を捉えようとする研究者が、「公的管理⇔私的所有」という対立構造に分類されない、地域コミュニティーや生態系に立脚した種子の共同管理という<ユートピア的地平>を求めることは充分理解できる。「コモンズ」の立場から、種子の社会的経済的な役割や価値を見直し、種子を「共有資源化」することが可能なのかを見定めるには時間がかかるだろう。ただ、「持続可能な社会」を創出するため、種子とヒトとの関係を見直すことが重要かつ喫緊の課題であることは間違いない。さて、種子はかつて「タネとり」という、農業従事者自身による「農の営み」により維持継承されてきた、が、しかし、現在「『小農』の表には出ない種子への思いや、生きものへの情愛(中略)に消費者の目が向きはじめている」と宇根豊は書く。(宇根,2020)公共政策学(農村開発・農業生物多様性管理)が専門の龍谷大学教授、西川芳昭はそれを「百姓の情愛」(西川,2022)と呼ぶが、「情愛」は決して<お百姓さんの側だけに起きる特別な感情>ではないだろう。種苗業を営む者には、種子を通じて生産者と密接な関係を結ぶ過程で生起する「タネ屋ならではの情愛」がある。「百姓の思いと近代科学の知識を結ぶ」(西川, 2022)試みのどこかに、種子や苗を知り尽くしたタネ屋が貢献できる部分があるかもしれない。参考文献:『タネとヒトー生物文化多様性の視点から』西川芳昭編著(2022)タネは誰のものか ― 「コモンズ」と「情愛」

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